| ムク木コラム |
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薬事法と健康保険 |
平成17年11月 山川元志 |
| 「儲けすぎる民間病院の診療報酬をを下げる」というようなことが新聞に出ていた。国民の健康保険料負担が増え続けている。不要な薬をばらまく悪徳医者ほど利益が上がる仕組み、健康保険制度そのものに問題があると思う。 やむを得ない薬は確かに有難い物である。しかし、老人やアレルギーの人、さらには生活習慣病の人に、薬を常用させるような治療法は、生体のメカニズムから考えたとき、果たして正しいのだろうか。私には危険に思えてならないのである。患者の立場に立ったとき、望ましい治療法は明らかである。薬による治療法からは出来るだけ速やかに脱却し、食、住、運動など、生活習慣の改善に移行して治療する。本当は、医師にそこまで「病の克服方法」を指導し、ケアし、チェックしてほしいのである。しかし薬による治療は、医師の収入に繋がっても、生活習慣の改善などは、「治療」とは見なされず収入には繋がらない。事実そんな奇特な医師にはめったに出会わない。もしそんな良心的な医師がいたら、その先生は、きっと身銭をきるようなことを強いられているのだろう。 医師は、自分独自の仕事に自分で値段をつけられない職業である。本来崇高で価値ある職業を低くさせてしまった理由が、このあたりにあると私は思う。医師は、つまらない薬の売人であってはならないと思う。患者にとって不要な薬を売り続けるなら、言葉は厳しいが、覚醒剤の売人とどこが違うのかとすら思ってしまう。 薬として認定されるのは、費用も時間もかかり簡単ではない。研究開発力もあるはずの日本の大きな製薬会社ですら、困難なことと聞く。確かに、新薬の効能と安全の確認は、当然必要なことかもしれない。しかし新しい薬を生み出す方策がこれだけでは、特定分子構造の化学物質だけが薬で、昔からの漢方薬を除き天然成分系は排除され、極めて保守的で新しい可能性のある物まで抹殺してしまうのではないか。安全性は高いのに、ありがままの効果をうたえない自然成分も多いのではないかと思う。 国が認可した薬ですら、エイズや肝炎が起こった。結局国がすべての責任を負うことは、もともと不可能なのだ。ではどうすればいいのだろうか。 「製薬者の責任」、「使う医師の責任」、「医師や薬的なものを選ぶ患者の責任」、「そして国の役割」、結局のところ、誰もが相応のリスクから逃れられない。よって、それぞれが応分の責任を負うシステムしかないのではないかと思う。国が効能と安全を保証するような愚は、避けるべきだと思う。国がつくるべき基準は、あくまで参考であって、保証などしてはいけない。むろん、危険な薬剤の中止、悪い製薬会社や医師への罰則はきちんとする。 製薬業者は、安全で効果ある薬を提供する責任があり、間違えばそれなりの責任を負う。たとえ国に認可を受けない、食品のような天然由来の薬剤でも、安全性に自信があれば販売できる。むろんデータの改ざんは罪になるし、結果責任を負う。 医師は自らの判断で、安全で効果的と思う薬剤を使用し、薬に頼らない治療方法も、大胆に取り入れ患者を健康体に導く。治療結果は公開し独自の方法をアピールできる。 患者は潤沢な情報公開の資料をもとに、自らの判断で医師を選ぶ。 国の果たす役割はこれらがスムーズに行える、情報の管理と提示ではないかと思う。けっして神のような立場ではあるまいと思う。 医師は、薬剤で利益は上げなくてもよいように、基本保証額(経験と評価で最低保証)プラス治療行為そのものの値段を、自らつけて患者に請求する。患者には自己負担率があるので、不当な薬剤や医師は排除されるメカニズムが働く。患者とグルになった行為は、当然詐欺行為として告発される。詳細はともかく、基本的にこんな医療にかわらないかと思うのだが。そうすれば必要以上に楽剤が使用されることはないし、自然で安全な生薬や、食事療法や運動療法も大胆に取り入れ、医師は治療に対しもっと独自性を発揮出来るのでないかと思う。 |
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